福岡簡易裁判所 昭和32年(ろ)657号 判決 1958年2月12日
被告人 松本一郎こと 朴洙鎬
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は「被告人は昭和三十二年四月二十九日午後九時頃から翌三十日午前六時頃までの間に、福岡市奈良屋町一七番地森永次郎方において、吉川弥市所有の原動機付第二種自転車一台(時価八万円相当)を窃取したものである。」というのである。
ところで被告人はその検察官に対する昭和三十二年五月十一日附供述調書の記載によると、被告人が所持していた原動機付第二種自転車ホンダベンリー号は昭和三十一年十一月頃兄の友人の宮本某から金八万円で買受けたものである旨述べ、同検察官に対する昭和三十二年五月三十一日附供述調書の記載および当公廷における供述によると、右原動機付自転車は昭和三十二年四月三十日午後四時か五時頃知人のトウモト、マサオから同人に対する金二万円の貸金の担保として預つたものであるが、同人はいつも悪いことをするのを自慢のように話す男だから右原動機付自転車もあやしい品物だと思つていた旨述べ、その弁解するところが変つてはいるが昭和三十二年五月一日警察に逮捕され取調を受けはじめてより終始本件窃盗の事実はこれを否認している。そこでその他の各間接証拠について検討を加え、本件窃盗が被告人の所為であると推定できるかどうかを考えて見ることとする。
一、吉川彌市作成の被害届の記載、司法警察員作成の実況見分調書(写真五葉、図面二枚添附)の記載およびハンドルキー部品の切断片(証第四号)の存在を各綜合すると、昭和三十二年四月三十日午前一時三十分頃から同日午前六時三十分頃までの間に、福岡市奈良屋町一七番地森永電機通信工業所こと森永次郎方の表ガラス引戸の予ねて少し破損していた一枚のガラスの破損部分がドライバー様のもので更に大きく損壊され、引戸内側の「ねじ込み錠」が外され、内側土間に立ててあつた吉川彌市所有の原動機付第二種自転車ホンダベンリー号五六年式(エンジン番号4J56-10008、車体番号JC56-10853、車輛番号八一〇二)一台時価八万円位が窃盗にあつたこと、その現場には右原動機付自転車のハンドルキーを金切鋸様のもので切つたと思われる切断片(証第四号)が落ちており、車痕は同市築港方面に向つてのこつていたことを認めることができる。
二、渡辺貢の検察官に対する供述調書の記載、第二回公判調書中証人渡辺貢の供述記載、証人渡辺貢の当公廷における供述、被告人の当公廷における供述およびエンジンキー(証第二号)、ハンドルキー(証第三号)の各存在を綜合すると、昭和三十二年四月三十日午前八時頃被告人方店舗の裏の小屋に前日まで見かけなかつた原動機付第二種自転車がハンドルを奥の方に向けて入れてあつたこと、同日午前十時頃になつて被告人はその使用人である自転車職人渡辺貢にホンダベンリー号五六年式のエンジンキー(証第二号)とハンドルキー(証第三号)を買いに行かせ、右渡辺は同市赤坂門附近の部品屋で、これを買い求めて帰つたことを認めることができる。
三、第二回公判調書中証人吉川彌市の供述記載、福岡県警察本部鑑識課勤務谷巖、徳永清吾共同作成の鑑定書(写真四葉添附)および被告人の当公廷における供述を綜合すると、昭和三十二年五月一日午前九時三十分頃被害者吉川彌市は被告人方店舗前の道路端において、同所に立ててある被害品によく似た原動機付第二種自転車を発見したこと、その際同人が被告人に対し「この車は私が昨日盗まれた車によく似ていますが。」と申向けたところ、被告人は「よく見てものをいえ。人の車に因縁をつけるな。エンジン番号や車体番号等もよく見ろ。」と同人を叱責した上、更に「この車は去年石川県の方から買つたんだ。」といい、同人が車の特徴を列挙したところ、被告人も一々同様ないゝわけをなし、押問答の末、被告人は警察に連行されることになつたこと、右原動機付自転車には被害当時被害原動機付自転車に附いていたバツクミラーおよび前部カバーの「カジキリ」が取外されてなくなつており、車体についていた傷痕にも黒ペンキが塗られ、エンジン番号および車体番号がそれぞれ4J56-16538、JC56-11853(又は17853)と読めるように各改変されていたこと、鑑定の結果右エンジン番号および車体番号はそれぞれ4J56-10008、JC56-10853を右のように改変したもので、右原動機付自転車が被害原動機付自転車ホンダベンリー号と同一であることが判明したことを各認めることができる。
四、指紋照会書回答票の記載、被告人の検察官に対する昭和三十二年七月十一日附供述調書の記載および被告人の当公廷における供述によると、被告人は昭和二十一年十月十一日小倉区裁判所で窃盗罪により懲役四年に処せられているが、右は当時の進駐軍のメリケン紛八俵を荷抜窃盗したことによるものであり、その後昭和二十六年十一月六日佐賀県鳥栖地区署で自転車盗、昭和三十一年三月二十三日福岡県博多署で忍込盗により各検挙されてはいるが、いずれも不起訴処分となつておる(その理由は明らかでない)ことを認めることができる。
五、司法巡査作成の捜索差押調書の記載および関正一、木村敬三郎、波多野進の各被害届の各謄本の記載によると司法巡査が被告人方を捜索した結果、いずれも盗難自転車の鑑札である三枚の鑑札が出てきたことを認めることができる。
以上の証拠以外には(渡辺貢の検察官に対する供述調書中「被告人は本年四月二十九日の日は午後九時頃から外に出て午後十二時過頃まで帰つて来ませんでした。主人は夜よく外に出て歩きます。」旨の記載も被告人が昭和三十二年四月三十日午前零時以後も外出して家にいなかつたと認める証拠にはならない。)被告人が本件窃盗を犯かしたことを推定させる証拠はないところ、右認定の諸事実に徴して考えると被告人が本件窃盗を犯したのではなかろうかという疑いも多分に懐かれはするが、しかしまた本件原動機付自転車の被害の時間(昭和三十二年四月三十日午前一時三十分から同日午前六時三十分までの間)と少くとも証拠上本件原動機付自転車が被告人方において、はじめて存在したと認めうる時間(同日午前八時頃)との間には一時間三十分以上の時間があることになり、後記認定のように被害現場から被告人方までの距離も近々三百米ばかりに過ぎないことを考えあわすとき、その間に被告人以外の誰かが本件原動機付自転車を窃取して、被告人方にもつて来るということも全くあり得ないことではないから、未だ右認定の事実のみから被告人が本件窃盗をなしたものであると確信をもつて合理的疑いを懐くことなく推定することはできない。
かえつて、(一)被告人が本件原動機付自転車をその人から預つたと弁解するトウモト、マサオなる人物は全く架空ではなく、第二回公判調書中証人鄭鎮永の供述記載、被告人崔点甲に対する起訴状の写の記載および証人緒方軍次の当公廷における供述を綜合すると、トウモト、マサオは朝鮮名鄭鎮森という当三十一年の男で実在し、相当窃盗を働いていることを認めることができること。(二)被告人方と本件被害現場との距離は司法警察員作成の実況見分調書添附図面の記載によると僅か三百米ばかりの近い所であるのに、前記三、認定のように被告人は本件原動機付自転車をその店舗前の道路端に堂々と出していたこと。(三)被告人は、その作成にかゝる身上申立書によると不動産二百五十万円、動産三十万円相当の資産を有し、かなりの店舗をかまえて自転車修理販売業を営み、その月収も二万円位あるのであつて、生活に困窮してはいないこと。以上の事実は被告人が本件窃盗をなしたと推定するについては寧ろ消極的な証拠となるものといえよう。
なお証人朴来源は当公廷において二回にわたり、昭和三十二年四月末頃の朝方午前三時頃、自から柳某と共に同市呉服町交叉点から同市築港の方に行つて次の交叉点を左に曲つて千米位行つた四角の附近の家にいたり、表戸の一枚のガラスの小さな破片を取除き、手を差込んで鍵を外し同家に侵入して、入口から一、二尺の所に置いてあつた原動機付自転車のハンドルキーを金切鋸で切つてこれを二人で持出して窃取し(前掲司法警察員作成の実況見分調書の記載と略一致する。)同市大津町の金大治方の豚小屋に隠し、翌日暮方にトウモトを同所に連れて来て、同人に右原動機付自転車の売却方を頼み、これを同人に手渡したところ、トウモトはその夜九時頃帰つて来て、同市大浜の朝鮮人の自転車屋に売ることにしたと申向けたが、その後トウモトは何処え行つたかわからない旨証言し、朴来源こそ本件窃盗の本犯であるというのであるが、被告人はその検察官に対する昭和三十二年五月三十一日附供述調書中においても、また当公廷においても、昭和三十二年四月三十日午前十時か十一時頃同市博多駅前大丸パチンコ店でトウモトと会い、同人に後で車はもつて行くからホンダベンリー号のハンドルキーとエンジンキーを買つておいてくれと頼まれたので、自宅に帰り職人の渡辺貢にこれを買いに行かせておいたところ、同日午後四時か五時頃トウモトが原動機付自転車ホンダベンリー号をもつて来た旨(もつとも当裁判所は前記のとおり同年四月三十日午前八時頃から本件原動機付自転車は被告人方にあつたと認めるのであるが)供述し、右証人の証言と被告人の供述とは明らかに時間的に食違うから、両供述は互にその信用性を減殺しあい、いずれも真実性に乏しいとはいえるが、そうだからといつて右供述の食違いから直ちに被告人が本件窃盗を犯したことを故意に秘していると推定するわけにはいかない。
以上の説示で明かなように、本件起訴状記載の被告人が単独で窃盗を犯したとの訴因については、その証明が十分でないが、仮りに本件公訴事実に被告人が氏名不詳者と共謀の上窃盗を犯したとの訴因を含む(当裁判所は共犯か否かにより別個の訴因となると考えるが、訴因変更を要しないとして)と解しても、前掲各証拠中には、共謀の事実を認めるに足る証拠はないし、その他記録を精査するも、これを認めるに足る証拠は見当らない。
しかしながら、前掲各証拠によつて被告人が本件被害原動機付自転車ホンダベンリー号を所持していたことは明らかであるところ、前記五、認定のように被告人方から盗難自転車の鑑札が多数出てきたこと、前記三、認定のように本件原動機付自転車についても、そのエンジン番号車体番号が各改変されていたこと(しかも渡辺貢の検察官に対する供述調書中「その原動機付自転車は昭和三十二年四月三十日一日中裏の小屋に置いてあり被告人がそこに行つてことこと音を立てて何かしているようであつた。」旨の記載から右のエンジン番号、車体番号の各改変も被告人自らの所為であると解しうる。)は被告人が窃盗犯人であることを推定せしめる間接事実の一部ともなろうが、それと同程度に寧ろそれ以上に被告人が贓物犯人であることを推定せしめる間接事実となるものであつて、殊に被告人が自転車修理業を営んで相当の産をなしていることをも考えあわすとき、被告人が常習的に大がかりな盗難被害自転車等の処分をなしているのではなかろうかと推測しても決して不自然ではないし、被告人自身も当公廷において、本件原動機付自転車をあやしいものと知りながら、トウモト、マサオから、同人に対する金二万円の貸金の担保として預つた旨(たゞし昭和三十二年四月三十日午後四時か五時頃これを預つたとの点は前記説明のとおり信用できない。)供述しているのであるから、証拠上贓物寄蔵罪を認めることはできると思料し、当裁判所は検察官に対し予備的に訴因および罰条を「被告人は昭和三十二年四月三十日頃肩書自宅においてトウモト、マサオから吉川弥市所有の原動機付第二種自転車一台(時価八万円相当)を、それが贓物であることの情を知りながら金二万円の担保として預り、もつて贓物の寄蔵をなしたものである。刑法第二百五十六条第二項」と追加するように命じたが、検察官は頑として、この命令に従はないので、当裁判所としては検察官があくまで維持する窃盗の訴因について審理する外なく、右のとおり窃盗の訴因については、犯罪の証明がないから刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をすることとした。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 小川正澄)